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れみではなかったのでしょうか。
実際に歴史的な流れの中から臨終という場面を見ていくことにしましょう。
ソクラテスは、彼のヘルスケアチームから隔離されてはいませんでした。彼の最後の言葉は医師への感謝でした。“アスクレピオス(医療の神)のためにささげためんどり”は、ギリシアの医療神への、死を助けた医師のための感謝の献げ物でした。私たちは、陪審員があるいは自然によって、究極的にすべて死の宣言を受けています。
「サポート・プロジェクト」は、私たちがどのように死の過程をコントロールすることができるか、そして人間の苦難、さらに悪質な患者虐待に無関心にならないようにできるかという適切な問いかけをしています。施設の中ではあるが、それは病院というより刑務所でソクラテスの権利は取り上げられたのです。彼は、ある人が言っているですが、決断するチームの一員です。プラトンの『弁証』と『Phaedo』からの説明では逐語的にこう記録されています。
「死期とは、動揺から解放される時がきたことであることが非常に明らかです」と。
ソクラテスの死には威厳があり苦痛もなかったと、ベッドサイドにいるように選ばれた学生や友人たちが証言しました。クリトンは「そうやるだろう」「でもあとはほかに何もないか」と付け加えつつ、「すべてが終わった」と彼に確信させました。ある人は、ソクラテスはよき緩和ケア医療の実践に感謝したとまで言っています。死が“宣告”されますと、身体的・情緒的苦難から死を早めるかもしれませんが、アヘンや毒にんじんカクテルの薬剤によって苦痛を確実に軽減するよう改善されています。
ソクラテスは、15世紀の木版に死を前にしている男が死の芸術を公に実証しようと意図するほど霊的に準備していたのです。“生命の質”と題された絵は、彼は自分の魂が天に移される準備がされるにつれて死を前にした男が赦免され、そして、告白し、威厳のある、そして静められたものとして描写しています。2人の東洋人のイメージ、すなわち法然(鎌倉時代)と仏陀(1086)の死を並置し、そして、ユダヤ・キリスト教的伝統(1656)のヤコブの死と並べるなら、この5人の主役は霊的輝きに浸っているようであることに気づかずにはいられません。
よい死に必要なのは、平安に用意ができていることで、“有終の美”と呼ばれる心の状態のことです。これらの生命の質はすべて優しく、美しい行動で地上の生涯を全うし、そして苦痛とかコントロールを失うこととか介護者から断絶されることではなく、平静、ケア、コミュニケーション、交わりによって特徴づけられます。仏陀はすべての創造物、つまり木、動物、弟子たち、僧侶、働き人に囲まれて死にました。私は阿弥陀の写真と法然の死の絵とが、死の直前の信者のベッドの側に持っていかれる意味を説明するために並置しています。この信者は阿弥陀との接触と、西洋的パラダイスへの誕生を可能にするために着物をつかむように指導されます。
これが私のための適切な死であり、私のスタイルです。この絵(略)は素晴らしい歌劇の死で、ちょうどよい長さの劇で、完全な着物でまつげ染めをして死ぬのです。しかし、すべての重大さのなかで、私はジェームス・クラヴェル(James Clavell)の小説『将軍」(1975)の中での“まり子さん”と“エツ夫人”の死に非常な印象を受けたのを覚えています。切腹、あるいはより臨床的にいうと自殺や切腹死の公然の儀式(慣習)は、選択された、名誉のある、やすらかな死と見なすことは正しいのでしょうか。

 

 

 

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